コレクター放出品『天保九年 山中筑後の守より…焼締菊文酒徳利』紀州藩伊達家家老 初代九兵衛…共箱・時代箱書付 江戸後期 歴史資料

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寛政元年(1789)、徳川治宝(とくがわはるとみ、1771~1853)は19歳で紀伊藩10代藩主となりました。 治宝は、中・下級家臣を抜擢(ばってき)し、従来の家老ら門閥(もんばつ)派を中心とした藩政の流れを変えようとするとともに、文雅(ぶんが)を楽しむ政策も行いました。 一方で、治宝が藩主になったころの藩財政は非常に厳しく、その打開策の一つとして、将軍家との姻戚(いんせき)関係も深められていきました。 文政6年(1823)治宝はこぶち騒動の責任をとって、藩主の座を11代将軍家斉(いえなり)の子である斉順(なりゆき、1801~46)に譲りましたが、隠居後も藩の実権は治宝が握っていました。 治宝のもとには、家老の山中筑後守(ちくごのかみ)を筆頭に中流家臣の俊才が集ま、その中心に伊達宗広(だてむねひろ)や渥美源五郎らがいました。これに対し、11代藩主斎順のもとには、江戸詰の付家老である水野忠央(みずのただなか)や国元の山高石見守(いわみのかみ)らの重臣がついて、両者は対立していました。 こうしたなか、ペリー来航の前年である嘉永5年(1852)山中筑後守と治宝が相次いで死去すると、治宝派の家臣に対する粛正が行われました。

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